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高松高等裁判所 平成6年(ネ)434号 判決 1996年1月30日

控訴人 国

代理人 早川幸延 西野賢一 松尾一雄 ほか六名

被控訴人 三宅純生

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

四  本件について、高知地方裁判所が平成五年七月五日になした強制執行停止決定を取り消す。

五  この判決は、四項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要及び証拠関係

本件事案の概要は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決事実及び理由「第二 事案の概要」記載のとおりであり、<証拠略>のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の補訂

1  原判決三枚目表四行目「勝訴判決を受け、」の次に「同日」を加え、同九行目「三笠泰男、乾治子」を「三笠泰男(以下「泰男」という。)、乾治子(以下「治子」という。)」に改め、同枚目裏三行目「判決」の次に「(榮一、泰男、治子に対し、各二三〇万二一六六円、秀子に対し六九〇万六五〇〇円、及びこれらに対するいずれも昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員の支払を命じた。)」を、同五行目末尾に「榮一は右上告中の昭和六二年八月三一日死亡した。」を、それぞれ加え、同八行目「同月」を「平成二年五月」と改める。

2  原判決四枚目裏一〇行目「相続放棄」を「被相続人榮一の相続放棄(以下「本件相続放棄」ともいう。)」と改める。

二  当審における新主張

(控訴人)

1 被控訴人は相続放棄をする前に単純承認をしていた。

(一) 寅藏は全林野労働組合に対し、昭和五二年九月二四日、白蝋病裁判の仮執行宣言付第一審判決に基づき取得した損害賠償金につき、その二〇%分(弁護士費用、遅延損害金を除く。)である二〇〇万円を裁判確定まで預ける旨の寄託契約を締結した。

(二) 同労働組合四国地方本部(以下「全林野四国地本」という。)は、寅藏の相続人である被控訴人、井上順子(以下「順子」という。)、泰男及び治子(以下「被控訴人ら四名」という。)に対し、平成三年一〇月二八日、右寄託契約に基づき、右寄託金を含む九九四万六五九九円を支払う旨確認して確認書を作成した。

また、同日、全林野四国地本は、被控訴人ら四名に対し、同人らのなした限定承認及び破産宣告の申立てに関連して控訴人の返還命令が有効か否かの争いを想定し、同命令に応ぜざるを得ないときは、寅藏が受領した右損害賠償金八〇〇万円の遅延損害金を贈与する旨を約し、その覚書を作成した。

(三) そして、全林野四国地本から、平成三年一一月一一日、確認書に基づき、被控訴人ら四名が受領すべき寄託金等合計九九四万六五九九円が泰男名義の預金口座に振り込まれ、次いで、同四年九月三〇日、覚書に基づき、被控訴人ら四名が受領すべき贈与金五六八万八七六七円が同口座に振り込まれた。

(四) 右損害賠償金の元本部分の二〇%相当額につき、確認書で寄託金返還請求権の行使時期を取り決め、現にその返還を受けるということは、被控訴人が榮一の相続財産につき単純承認の意思表示をしていると解釈されるべきである。

仮にそうでないとしても、被控訴人は、榮一の相続財産を処分したことになる(民法九二一条一号)。

仮に被控訴人が確認書等の作成に自ら関与せず、泰男が関与したとしても、被控訴人は泰男に対し、一切の代理権を授与していたものである。

2 被控訴人のした相続放棄が熟慮期間経過後のものであることについて

(一) 被控訴人は、祖父寅藏が白蝋病裁判で補償を取り立てたことは知っていたし、同裁判は当時著名な事件であって大きく報道されていたのであるから、また、控訴審判決で、原判決が取り消され、仮執行の原状回復を命じられたことは、その金額の大きさからいっても、榮一ら訴訟承継人にとっては極めて深刻かつ重大な問題であると考えられるから、被控訴人は遅くとも榮一の死亡当時、その債務の存在を知っていたと推測される。

仮に、右債務の存在を知らなかったとしても、これを容易に知り得る状況にあった。

したがって、被控訴人において、相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があるとはいえず、相続放棄の熟慮期間は榮一の死亡当時から開始し、本件相続放棄はその期間経過後の平成四年八月九日になされたものであるから無効である。

(二) 仮に、右主張が認められないとしても、遅くとも確認書や覚書が取り交わされた平成三年一〇月二八日から、被控訴人ないしその代理人泰男は、全林野四国地本に対し、損害賠償金の元本部分の二〇%相当額につき寄託金返還請求権を有すること、及び控訴人に対し、仮執行した損害賠償金の返還義務を履行しなければならなくなることも十分に認識していた。

したがって、右時点から熟慮期間が開始し、本件相続放棄はその期間経過後の平成四年八月九日になされたものであるから無効である。

(被控訴人)

1 控訴人の当審における新主張1はいずれも否認する。

寅藏の相続につき、平成二年一〇月五日、高知家庭裁判所において限定承認が受理され、同時に泰男が相続財産管理人に選任され、同管理人泰男が控訴人の新主張1(二)(三)の確認書作成及び寄託金の受領等をしたものである。

控訴人の新主張1は、「寅藏の相続」につき右管理人泰男がなした行為を、「榮一の相続」についての被控訴人の行為にすり替えるもので不当である。

2 控訴人の当審における新主張2はいずれも否認ないし争う。

第三争点に対する判断

一  前記前提となる事実によれば、榮一は、その父寅藏が控訴人に対し損害賠償請求をした白蝋病裁判について、裁判途中で死亡した寅藏の訴訟上の地位を母秀子及び兄泰男、妹治子の三名とともに承継したが、その控訴審判決で、仮執行によって取得した損害賠償金二三〇万円余の返還を命じられたこと、榮一は、右判決に対し上告し、さらにその途中で死亡した母秀子の訴訟上の地位(控訴審判決で六九〇万円余の支払を命じられていた。)を兄・妹とともに承継したが、上告中の昭和六二年八月三一日死亡したこと、被控訴人は、榮一の長男であるが、右控訴審判決が上告審でも維持され確定したため、平成二年五月一八日、控訴人から二三〇万円余の返還を督促されたこと、被控訴人は平成四年八月九日相続放棄の申述をしたことが明らかである。

二  さらに<証拠略>によれば、榮一は高知市で昭和六二年八月三一日に死亡したが、その長男である被控訴人は当時これを知り喪主として葬儀を執り行ったことが認められる。

三  右一、二によれば、被控訴人は、相続開始の原因たる榮一死亡の事実及びこれにより長男である自己が法律上相続人となったことを知ったというべきであるから、民法九一五条所定の熟慮期間は、被控訴人が榮一に相続財産が全く存在しないと信じ、かつ榮一の生活歴、榮一と相続人との間の交際状態その他諸般の事情から相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、右のように信じるについて相当な理由があると認められる特段の事情がないかぎり、右死亡時から開始すると解される(最高裁判所昭和五九年四月二七日判決)。

四  そこでさらに検討するに、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができる。

1  被控訴人は、土佐中学三年生であった昭和四六年まで高知市において榮一ら両親と同居していたが、両親で転職して神奈川県に移住したため、両親と別居し、以後叔母治子に引き取られて土佐高校を卒業し、昭和五〇年慶応大学に進学したが、当時両親は、米子市に転居し、その後腎不全を患い、高知県に帰ったため、被控訴人と同居することはなかった。被控訴人は昭和五四年同大学を卒業するとともに十条製紙株式会社に就職し、以後平成六年までいわき市に居住していたが、昭和五四年四月に母方の祖母梅子と養子縁組をした。

2  榮一は、腎不全のため人工透析を受けている状態で満足に働けず、借家住まいで、妻幸で昭和五二年七月死亡後は、被控訴人の妹の順子及び榮一の妻幸の母梅子(明治二九年三月二九日生で被控訴人及び順子の養母)と三人で暮らし<証拠略>、その生活費は榮一の傷害年金等で賄っていた。

被控訴人は、年一回帰るかどうかの割合で高知市の親元に帰っていた(冠婚葬祭にも参加していた。)。また、寅藏が白蝋病裁判で補償を受けたことも知っていた。

養母梅子は、昭和六三年五月二五日、高知市で死亡した。

3  榮一は、死亡当時、同人固有の(相続による取得以外の)相続財産を有していなかったが、積極の相続財産として寅藏からの相続財産である山林、居宅の不動産等及び左記の全林野四国地本からの寄託金二〇〇万円の返還請求権(ただし、いずれもその法定相続分三分の一、<証拠略>)を、消極の相続財産として前記仮執行に係る損害賠償金返還債務を有していた。

寅藏は全林野四国地本に対し、昭和五二年九月二四日、白蝋病裁判の仮執行宣言付第一審判決に基づき取得した損害賠償金につき、その二〇%分(弁護士費用、遅延損害金を除く。)である二〇〇万円を裁判確定まで預ける旨の寄託契約を締結していた。

榮一は右裁判の上告中に死亡したが、被控訴人と順子はその訴訟承継手続きを取っていない。

4  被控訴人は、平成二年五月一八日、控訴人から納入通知書が送付されたことから、伯父の泰男(寅藏の長男であり、高知市に在住)に事情を問い合わせ、榮一に損害賠償金返還債務があることを知ったが、その際、泰男から心配のないような手続きをする旨聞かされ、その手続きを一任した。

ところが、同人が同年六月二五日にした手続きは、寅藏に関する限定承認の申述であって(控訴審判決は榮一に対し仮執行した金銭の返還を命じているが、その榮一の債務は寅藏の相続財産につき限定承認をすれば消滅すると考えたことによる。)、榮一に関する相続放棄の申述ではなかったし、また榮一の相続財産の限定承認の申述を寅藏のそれと同時することもしなかった。

高知家庭裁判所は、同年一〇月五日、寅藏の相続財産につき限定承認の申述を受理し、泰男を相続財産管理人に選任した。しかし、寅藏の相続財産の破産宣告に対する即時抗告事件において、高松高等裁判所は、榮一が白蝋病裁判における寅藏の地位を承継したことは民法九二一条一号の「相続人が被相続人の相続財産を処分したとき」に当たるとして、右限定承認が無効である旨の判断を示した。

五1  以上の事実によれば、榮一は被控訴人の養母及び被控訴人の妹順子と同居し、被控訴人も年一回近く榮一の元に帰っていて(冠婚葬祭にも参加し)、榮一死亡の際は喪主としてその葬儀を執り行ったのであるから、被控訴人と榮一との親子間の関係が途絶えていたわけではなく、また特別疎遠な交際状態であったともいえないこと、榮一は父寅藏の仮執行に係る損害賠償金返還債務のほか、不動産・寄託金返還請求権等を相続していたこと、榮一及び伯父叔母が右控訴審判決で損害賠償金の返還を命じられたことは、同人らにとって重大な問題であって同人らの間で深刻な話題となっていたと推認されること、白蝋病裁判は当時著名な事件であって大きく報道されていたし(公知の事実)、被控訴人は祖父寅藏が右裁判で補償を受けたことを知っていたこと、榮一とともに白蝋病裁判を追行していた伯父叔母と被控訴人との関係も良かったこと、その他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、被控訴人が供述するように、榮一の生活歴及び榮一との交際状況から榮一に全く相続財産がないと信じたとしても、被控訴人は、榮一の死亡当時、榮一とともに訴訟承継人として白蝋病裁判を追行していた伯父叔母に問い合わせれば、榮一の右債務及び寅藏から相続した不動産・寄託金返還請求権等を知り得たのではないか、また同裁判を支援していた全林野四国地本ないし同裁判の訴訟代理人弁護士に問い合わせたり、その控訴審判決書を探して見れば、右債務(及び寄託金返還請求権)の存在を知り得たことが窺えるのであって、被控訴人が榮一の(積極及び消極の)相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があったとは解されない。

そうすると、被控訴人が榮一に相続財産が全く存在しないと信じるについて相当な理由があるとは認められず、榮一の死亡時から三か月の熟慮期間が開始することになる。

2  また仮にそうでないとしても、右認定事実によれば、被控訴人は、控訴人から平成二年五月一八日納入通知書の送付を受け、榮一の損害賠償金返還債務の存在を知ったのであるから、遅くとも右時点から三か月の熟慮期間が開始することになる。

したがって、被控訴人が平成四年八月九日になした相続放棄の申述は熟慮期間経過後になしたものであるから無効である。

もっとも、被控訴人は、榮一に損害賠償金返還債務が存在することを知り、榮一の被相続人である寅藏の相続財産について限定承認の申述をなしたが(これにより被控訴人は榮一の債務が存在しなくなると誤信したとしても)、被控訴人の(債務の相続を拒絶するという)合理的意思にしたがえば、榮一の相続財産につき限定承認又は相続放棄をするべきであったのに、誤った手続きをしたに過ぎず、そのことが榮一の相続財産についての熟慮期間の開始時期を遅らせる根拠とはなし得ない。

なお、寅藏の相続財産に対する限定承認の申述は、高知家庭裁判所で平成四年一一月二七日受理されているが、右受理時には右熟慮期間は経過しているから、仮に右申述が受理されなかったとしても、同時期には被控訴人が改めて榮一の相続財産につき限定承認又は相続放棄をすることができないので、右受理が本件相続放棄の無効の判断に影響を与えるものではない。

第四結論

そうすると、右判断と異なる原判決は不当であるから、これを取り消し、被控訴人の本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、強制執行停止決定の取り消し及びその仮執行の宣言につき、民事執行法三七条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 大石貢二 馬渕勉 一志泰滋)

【参考】第一審(高知地裁 平成五年(ワ)第二八四号 平成六年一一月一六日判決)

主文

一 被告の三笠秀子に対する高松高等裁判所昭和五二年ネ第一七六号損害賠償請求控訴事件の判決について、高知地方裁判所が原告に対して平成五年六月一〇日付与した執行文の付された債務名義の正本に基づく強制執行は、これを許さない。

二 被告の三笠榮一に対する高松高等裁判所昭和五二年ネ第一七六号損害賠償請求控訴事件の判決について、高知地方裁判所が原告に対して平成五年六月一〇日付与した執行文の付された債務名義の正本に基づく強制執行は、これを許さない。

三 訴訟費用は被告の負担とする。

四 本件について、当裁判所が平成五年七月五日になした強制執行停止決定は、これを認可する。

五 この判決は四項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文一、二項と同旨

第二事案の概要

本件は、白蝋病事件に関し、一審で敗訴して仮執行を受けた被告が、二審で逆転勝訴し、仮執行金の返還を命ずる判決が上告審でも支持されて確定したことから、仮執行金を受領した者の相続人である原告に対して執行文の付与を受け、強制執行に着手したのに対し、原告は、相続の放棄を理由に、執行文付与に対する異議をなして争った事案である。

一 前提となる事実(争いがない)

1 亡三笠寅藏(以下「寅藏」という)の相続関係図は<略>のとおりであって、原告は、その孫である。

2 寅藏は、高知県内の営林署において、チェーンソーを使用する勤務に従事したため、レイノー病に罹患したとして、被告に対し損害賠償請求訴訟(高知地方裁判所昭和四九年(ワ)第一〇号)を提起し、昭和五二年七月二八日損害金一〇〇〇万円とこれに対する遅延損害金につき勝訴判決を受け、仮執行宣言に基づき、右合計金一三八一万二九九八円を取り立てた。

3 被告は、右判決に対して控訴を提起し、その審理中の昭和五八年一月一四日寅藏が死亡したことから、同年一〇月八日妻の秀子(同人は同年九月二四日既に死亡していたため、上告審において改めて子供三名による訴訟受継の手続きがなされた)及び子供である三笠泰男、乾治子、三笠榮一(昭和六二年八月三一日死亡、以下「榮一」という)が訴訟を受継した。

4 高松高等裁判所は、昭和五九年九月一九日原判決を取消し、右訴訟承継人らの請求を棄却すると同時に、前記取立金及びこれに対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による遅延損害金につき、右承継人らに対し、その法定相続分割合に応じて、支払いを命ずる判決をなした。これに対し、右承継人らは上告したが、最高裁判所は、平成二年四月二〇日上告棄却の判決をなし、右控訴審判決は確定した。

5 そこで、被告は、平成二年五月一一日付け納入通知書をもって、原告が相続した二三〇万二一六六円及びこれに対する昭和五二年七月二九日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、右通知書は同月一八日原告に到達した。そして、その後の同年六月一四日、同年一〇月二九日、平成三年五月二四日、平成四年一月七日、同年一二月九日、平成五年六月二日の各日付をもって、督促状を送付し、いずれもそのころ原告に到達した。

6 これに対し、原告を含む寅藏の法定相続人は、平成二年六月二五日高知家庭裁判所に対し、寅藏の相続につき限定承認の申述をなしたところ、同裁判所は、榮一を含む寅藏の子供三名が訴訟を承継していることを看過して、同年一〇月五日右申述を受理したうえ、相続財産管理人に三笠泰男を選任した。そこで、三笠泰男は、平成四年一月二〇日高知地方裁判所に対し、相続財産の破産の申立をなし、同年三月一六日破産宣告決定がなされた。

7 被告は、右決定に対し、平成四年四月一七日高松高等裁判所に即時抗告をなし、同裁判所は同年六月一〇日、右破産宣告決定は破産法一三一条所定の申立期間を徒過しているとして、右破産宣告決定を取消し、破産申立を却下した。右却下決定は、三笠泰男に同年六月一四日送達され、同月一九日確定した。高松高等裁判所は、右却下決定の理由中において、高知家庭裁判所が平成二年一〇月五日受理した前記限定承認の申述は、榮一を含む寅藏の子供三名が訴訟を承継していながらなされたもので無効である旨判示した。

8 そこで、原告は、平成四年八月九日高知家庭裁判所に対し、被相続人を榮一とする相続の放棄の申述をなし、同申述は、同年一一月二七日同裁判所に受理された。

9 被告は、高知地方裁判所に対し、原告に対する執行文付与の申立をなし、同裁判所書記官は、平成五年六月一〇日原告が死亡した榮一を相続により承継したものと認めて、本件執行文を付与した。

二 争点

原告が平成四年八月九日になした相続放棄の申述は無効であるか否か。

三 争点に関する当事者の主張

1 原告

(一) 原告は、土佐中学三年生であった昭和四六年に両親が仕事の都合で神奈川県に移住したため、両親と別居し、以降叔母である乾治子に引き取られて高校を卒業し、昭和五〇年慶応大学に進学したが、その後両親が高知県に帰り、原告は昭和五四年同大学を卒業するとともに十条製紙に就職した。そして、以後現在までいわき市に居住しているが、昭和五四年四月に母方の実家と養子縁組をなしている。このように、原告は、寅藏ら祖父母や榮一ら父母と疎遠な関係にあった。

(二) 榮一は、長年腎不全のため人工透析にかかって満足に働けず、借家住まいで資産は全く存在しなかった。

(三) 原告は、被告から平成二年五月一一日付けで納入通知書の送付を受けたが、被告は寅藏の相続人全員に納入通知書を送付したことから、三笠泰男が寅藏の相続につき、限定承認の手続きを取り仕切り、原告も限定承認の申述をなして、これが受理された。

(四) 原告は、右限定承認の申述が無効であるとは思いもよらず、他に榮一の相続財産は全く存在しないと信じていたもので、原告の経歴、生活状況からみて、そう信じるにつき相当の理由があったというべきである。

したがって、原告において、榮一に相続すべき債務が存在すると確定したのは、高松高等裁判所においてなされた破産宣告取消決定の確定した平成四年六月一九日であり、この時から相続放棄に関する熟慮期間が開始すると言うべきであるから、平成四年八月九日になした相続放棄の申述は有効である。

2 被告

原告は、榮一が死亡した昭和六二年八月三一日の時点において、榮一の財産上の権利義務(寅藏及び三笠秀子からの相続分を含む)を法定相続分に従って相続し、平成二年五月一八日納入通知書の送付を受け、その後間もなく三笠泰男らと寅藏の相続に関して限定承認の申述をなしているのであって、右納入通知書の送付を受けたころから限定承認の申述をなしたころまでの間に、右納入通知書に記載の債務が存在していることを認識していることは明らかであるから、右認識の時点から三ヵ月の熟慮期間は進行しており、平成四年八月九日になした相続放棄の申述は無効である。

第三争点に対する判断

一 民法九一五条は、相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三ヵ月以内に、単純もしくは限定の承認又は放棄しなければならない旨定めており、最高裁判所は、昭和五九年四月二七日判決において、熟慮期間の起算時は、熟慮期間を定めた趣旨(相続人が相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実知った場合には、通常、右各事実を知った時から三ヵ月以内に調査することなどによって、相続財産の有無、その状況等を認識し又は認識することができ、したがって単純承認もしくは限定承認又は放棄のいずれを選択すべきかの前提条件が具備されるからである)から、原則として、相続人が相続の開始原因たる事実及びこれにより自己が法律上の相続人となった事実を知った時とし、例外として、相続人が右各事実を知った場合であっても、右各事実を知った時から三ヵ月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し、相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、熟慮期間の起算時は、相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又はこれを認識しうべき時から起算すべきものとすると判示している。

二 そこで、本件の場合、熟慮期間に関する例外事由に該当し、原告の主張する高松高等裁判所においてなされた破産宣告取消決定の確定した平成四年六月一九日から熟慮期間が開始するといえるか否かを検討する。

1 <証拠略>によれば、次のような事実が認められる。

(一) 原告は、土佐中学三年生であった昭和四六年まで高知市において榮一ら両親と同居していたが、両親が転職して神奈川県に移住したため、両親と別居し、以降叔母である乾治子に引き取られて土佐高校を卒業し、昭和五〇年慶応大学に進学したが、当時両親は、米子市に転居し、その後腎不全を患い、高知県に帰り、同居することはなかった。そして、原告は昭和五四年同大学を卒業するとともに十条製紙に就職した。そして、以後現在までいわき市に居住しているが、昭和五四年四月に母方の三宅喜太郎の妻梅子と養子縁組をなした。

(二) 榮一は、腎不全のため人工透析にかかって満足に働けず、借家住まいで、死亡当時の昭和六二年ころには、資産は全く存在せず、原告においては、榮一に資産も負債もないものと認識していた。なお、この点に関し、<証拠略>によれば、小額の預金と現金があったが、すべて葬式費用に当てられた旨の記載があるが、このような状態について、資産は全く存在しなかったと認定するのに何ら差し支えはない。

(三) 原告は就職後、年に一回帰るかどうかという状況で高知の親元に帰っていたが、寅藏が裁判で補償を受けたことは知っていたものの、裁判が長く続いていたこと、榮一らが訴訟を受継したこと、上告棄却により裁判が確定したことなど具体的な裁判の進行状況等は知らなかった。ところが、平成二年五月ころ、被告から納入通知書が送付されたことから、榮一の債務の存在を知ったが、叔父の三笠泰男(寅藏の長男であり、高知市在住)に事情を問い合わせ、その際、同人から心配のないような手続きをする旨聞かされ、その手続きを一任した。その後、その手続きが限定承認であり、その申述が受理されて、榮一の債務の関係はすべて終わったものと認識していた。ところが、三笠泰男から高松高等裁判所において、平成四年六月一六日それが無効であると判断されたことを知らされ、本件での相続放棄の申述をなした。

2 以上の事実に基づいて検討すると、原告は、榮一の死亡した当時には、榮一の遺産は存在しないと信じ、かつ、信ずるにつき相当な理由があったと認められる。そして、その後、確かに、原告は、平成二年五月一八日被告から納入通知書の送付を受け、その後間もなく三笠泰男らと寅藏の相続に関して限定承認の申述をなしており、このころには右納入通知書に記載の債務が存在していることを認識したことは明らかである。したがって、前記最高裁判所の判決がいう「事実を知った時から三ヵ月以内に(被相続人榮一の相続に関し)限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためである」とは、直接いうことはできない。

しかしながら、原告は、榮一に負債があることを知り、榮一の被相続人である寅藏の相続に関して限定承認の申述をなしているのであって、この手続きが無効であると知ったならば(高知家庭裁判所において受理さえしなければ)、被相続人榮一の相続に関して相続放棄の申述をなし、これが受理された蓋然性は極めて高いと考えられる。このように誤った手続きをなし、しかも、これが公的機関によっていったんは許容された状態になったことから、支払うべき債務が存在しなくなったと信じ、かつ、その信ずるについて相当な理由があると認められるときは、再びこれが存在することを知った時から熟慮期間が再び進行するとするのが熟慮期間を設けた趣旨に合致するところであって、前記最高裁判所の判決に反する解釈とまでは考えられない。そして、前記認定事実によれば、本件相続放棄の申述に関して、原告には、限定承認手続きにより債務が存在しなくなったと信じ、かつ、原告と榮一の生活歴、叔父三笠泰男らとの交際状態その他諸般の状況からみて、限定承認により債務が存在しなくなったと信ずるについて相当な理由があると認められる。

3 よって、争点に関する原告の主張は肯定されるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 溝淵勝)

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